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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)9910号 判決

原告 鍬塚巌

被告 池上康哉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し東京都千代田区五番町二丁目十二番地十五宅地六十六坪三合七勺につき昭和二十三年四月二十二日附売買に因る所有権移転登記手続をなせ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める旨申立てその請求の原因として、原告は昭和二十三年四月二十三日、被告との間に被告所有の申立掲記の宅地を代金七万三千七円で被告より買受ける旨の売買契約を結び、右契約に因る代金全額を即日被告に支払い、右宅地の引渡を受けた。しかしまだその宅地の所有権取得の登記を経由してなかつたので、被告に対し右宅地所有権移転登記手続を求めるものである。

被告の抗弁事実中、

(一)のうち(イ)の特約あつたことは認める。原告は当時本件宅地の隣接地をも、その所有者より買受けたので、一括して登記申請をするつもりであつたためである。(ロ)の特約の存在は否認する。

(二)のうち、原告が本件宅地を買受けた日時以後の右宅地所有者に対し課せられたその宅地に関する税金を被告が原告のために立替納付して来たことは認めるがその立替金額は不知

(三)の事実は認める。

(四)の被告主張の各通知がそれぞれ被告主張の通り原告に到達したことも認める。

(五)の主張については、本件宅地売買代金は売買契約当時すでに全部支払を了してある以上、事情変更の理論は適用の余地がないと信ずる。

と述べ、

立証として甲第一、第二号証、第三号証の一、二第四号証の一乃至三第五第六号証を提出し、原告本人訊問の結果を援用し、乙第一号証の一、二、乙第二号証の一乃至三の各成立は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告が請求原因として主張する事実は全部認めると述べ、

抗弁として

(一)  本件売買契約には(イ)原告の都合上、所有権移転登記は後日原、被告協定の上その手続をすること、(ロ)右の結果売買の目的である宅地所有者に課せられる税金は、登記簿上の所有名義者である被告に課せられることとなるので、被告において原告の負担すべき売買の日以後の税金を、原告のために、立替納付し、その立替金は立替の都度原告において遅滞なく被告に償還すること、といふ特約があつた。

(二)  そこで右の特約に基いて被告は本件宅地所有者に課せられた売買の日以後の税金を原告のために立替納付して来たところ、昭和二十五年一月以降昭和三十一年十二月までの被告が原告のために立替納付した前示税金合計四万五千二百八十一円を、納税期毎に原告に支払を求めたが、以上の七年間に亘りこれを放置して顧みない。

(三)  そこで被告は訴外青山甚吉を代理人として昭和三十二年一月九日原告に対し納税の内容を明細に拳示して支払を求めさせたが原告は、右納税立替金の支払に応じない。

(四)  よつて被告は売買契約による(一)の(ロ)の特約の債務不履行を理由として本件宅地売買契約を解除する旨の通知を原告に宛て発し、右通知は昭和三十二年一月十一日原告に到達した。仮に右の通知による契約の解除がその効力を生じなかつたとしても、その後被告は再び原告に宛て売買契約解除の通知を発し、右通知は同年一月十九日原告に到達した。

されば、何れにしても原被告間の本件宅地売買契約は右解除により消滅に帰したものである

(五)  更に上叙解除の理由としては、債務不履行を別としても、売買代金額七万三千七円に対し被告が原告のために立替えた納税額は四万五千円を越えるもので、かようなことは日常取引の通念に照し、不動産売却の目的に沿はないものであり、しかも本件宅地の価格は著しく騰貴し、昭和二十九年当時には四百六十四万円を越えるに至り、事情変更による不衡平な事態を生じているので、この点よりしても売買の解除は認めらるべきものと思料する旨

陳述し、

立証として乙第一号証の一、二第二号証の一乃至三、第三、第四号証の各一、二第五号証を提出し、証人青山甚吉の証言、被告法定代理人池上康助並に池上つ留に対する各法定代理人訊問の結果を援用し、甲第一第二号証、甲第三号証の一、二の各成立は認める。その余の甲号各証の成立は不知と述べた。

理由

原告が請求原因として主張する事実は被告の認めるところである。そこで被告の抗弁についてしらべてみると、原被告間の本件宅地売買契約には、被告主張の(一)の(イ)の約定があつたことは当事者間に争がなく、又被告法定代理人(康助、つ留)訊問の各結果によれば(一)の(ロ)特約のあつたことも認めるに十分である。原告本人訊問の結果中には、特約がなかつた旨の供述があるが、右部分は信用できない。ところで被告が本件宅地所有者に課せられた売買の日以後の税金を原告のために立替納付したことは原告の認めるところであり、証人青山甚吉の証言並に被告法定代理人(池上康助)訊問の結果、右証言並に訊問の結果により真正に成立したと認められる乙第一号証の一、二、乙第二号証の一乃至三、被告法定代理人(池上つ留)訊問の結果を綜合すれば、被告が原告に売却した本件宅地について原告のために立替納税した金員は立替の都度原告において被告に償還する約であつたが、原告は被告よりたびたび償還請求を受けながら償還をなさず、昭和二十四年末に漸く昭和二十三年度昭和二十四年度の立替を支払つたが昭和二十五年度の第一期分以降のものについては、被告よりの催告を受けても支払はず、立替額は昭和二十五年第一期分より昭和三十一年第四期分まで合計四万五千二百八十一円に達したので、被告は訴外青山甚吉を代理人として昭和三十二年一月九日原告に対し、立替税金の内容を詳細にした請求書を呈示して、償還を請求させたが、原告は右請求にも応じなかつた(この青山の請求があり、原告がその請求に応じなかつたことは原告においても認めてゐるが)ことが認められる。尤も原告本人訊問の結果並に被告法定代理人(池上康助)訊問の結果によれば、昭和三十一年四、五月頃原告は被告方に到り始めて立替金を償還するから清算をして貰ひ度いと申出たのに対し、被告法定代理人康助は、当時すでに本件宅地についての処理方を弁護士に委任したので、同人の一存だけでその申出に応じ難い旨の応答をしたことは認められる(原告本人は右の如き申出は、数回したような口吻を洩らしてゐるがこの点は信用できない。)が、前述の如くその後青山を通じての精算額償還請求に応じないのである。

さて以上認定の事実よりすれば、たとえ売買契約に被告主張の(一)の(ロ)のような特約がない場合(本件では特約があつたことは前述の通り)でも、不動産の買主はその買取以後の不動産所有者に課せられる税金を、売主が買主のために立替納付している場合には、遅滞なくその立替金を償還すべき義務あることは取引上当然その遵守を予定される信義誠実の原則よりみて明である。戦後我国の社会経済生活において税金の占めている比重は相当のものであり、不動産の取引において、税金を顧慮しないわけにはいかないことは公知の事実であるし、又不動産所有者が、その所有不動産を手離すのは、相当まとまつた金額の資金を必要とするためであることが通例である。本件宅地売買についてみると、売買代金七万三千七円であるに対し、被告が売買後数年間に亘り立替納付した税金未償還分は四万五千二百八十一円で代金額の半分以上に相当するところからすれば、被告が本件宅地を売却して獲得した資金の大半は、税金の立替に充当されたことになり、被告としては本件宅地売買の目的が達成されなかつたものと云ふことができよう。このことは単に被告主張の(一)の(ロ)の特約に因る債務を原告において履行しなかつたといふだけではなく取引を支配する信義則を原告が無視したものと云ふべきであるから、前示特約自体は純法律的理論からすれば、売買契約の附随的条項にすぎないものと解し得ないわけではないけれども、かような信義則違反の買主に対しては、売主である被告は売買契約を解除して売主としての売買宅地の所有権移転登記手続をなす義務から免れることができるものと解するのが相当である。

ところで被告主張の(四)の契約解除の各通知がその主張の通り原告に到達したことは原告の認めるところであるから最初の通知の到達した昭和三十二年一月十一日限り原被告間の本件宅地売買契約は解除されたものと断ずるの外はない。

してみれば、その余の争点につき判断するまでもなく売買契約の存在を理由とする原告の本訴請求は失当であつて棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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